今ではコンビニでも手軽に買えるみたらし団子。
買ってきたみたらし団子は大変おいしいですよね。
そんなみたらし団子を食べながら、ふと1つの疑問が頭をよぎったことはありませんか?
「なぜ一串4個ずつなのか?」
そうです。
市販のメーカー商品のみたらし団子は、そのほとんどが、四つずつ串に刺さっているのです。
今回は、みたらし団子が一串4個の理由や由来、みたらしの意味と語源について、調べてみたことをお話させていただきたいと思います。
みたらし団子が一串四つになった理由は?
もともと江戸時代には、みたらし団子は「5つ刺し」が主流となっていたようです。
この5つ刺しのみたらし団子は5銭、つまり1つ1銭としてカウントして販売されていました。
しかし4文銭が流通するようになって、この4文銭で1串5文を支払ったように見せかけるといったいわゆる「詐欺行為」が横行してしまいます。
店側の対応策として考案された方法が、最初から1串4つ刺しとしえ、定価も4文としてしまえ!といったことだったようですね。
そこから今なおずっと、4つ刺しのみたらし団子が受け継がれていったと言われています。
もちろん、このほかにも諸説があり、神社にまつわる説もありますので、くわしくは次章でご紹介させていただきたいと思います。
ちなみに現在では、みたらし団子製造機である串刺し機の型が、四つに分かれているためつ刺しが一般化しています。
みたらし団子の由来は神社にアリ!?みたらしってどんな意味?
みたらし団子の語源は、京都市左京区にある下鴨神社であるといわれています。
下鴨神社には御手洗川と御手洗社があり、毎年7月の土用の丑の日やその前後の日に「御手洗(みたらし)祭」が開催されることでも知られています。
このお祭りは、平安時代から続いていて、下鴨神社の境内の御手洗池に足を膝まで入れて、無病息災をお祈りするお祭りとなっています。
どうやら、そのとき神社の氏子がお供えをした串団子が、みたらし団子の起源となったようです。
「みたらしだんご」は漢字で書くと「御手洗団子」となりますよ。
鎌倉時代、神社の社頭で、参拝者が神仏を拝む前、水で手や口を清める御手洗場で、後醍醐天皇が水を手ですくってみたところ、大きな泡が一つ浮かびあがりました。
つぎに四つの泡が浮き出てきたことから、一つ目の泡が頭、後の泡が四肢を表したそうです。
これが、みたらし団子の起源であるとされているようですね。
そしてお祭りの際には、この泡を模してお団子が作られ、神前に供えられるようになりました。
だから、最初のみたらし団子は、5つ刺しとなっていたというわけです。
みたらし団子が一串4個の理由って?のまとめ
いかがでしたか?
まさか、ふだんからお手軽に食べているみたらし団子が、京都にゆかりのある由緒正しい神社で、当時の天皇によって生み出されたものであるとは驚きですよね?
そうとわかれば、神聖でおめでたく、ありがたい和菓子であるみたらし団子が、より格別なもの・縁起のよいものとの認識が生まれ、これからは見方も変わりそうですね!